『青天を衝け』5話で、尾高惇忠が渋沢栄一に【悲憤慷慨(ひふんこうがい)】という四字熟語を教えています。
渋沢栄一が、岡田藩の代官へ500両の御用金を納めに行った帰り道。
借金でもないのに取り立てられる理不尽さから「承服できん!承服できんぞ!」と立腹していると、尾高惇忠が「どうした、栄一」と声をかける。
栄一がことの顛末を惇忠に話すと、「そうか。お前もまさに悲憤慷慨だな」と言う。
本記事では、その言葉の意味と由来をご紹介します。
悲憤慷慨(ひふんこうがい)の意
世情や自分の運命などについて、憤慨し、嘆き悲しむこと。
悲憤慷慨とは – Weblio辞書
劇中では尾高惇忠が、「慷慨とは、正義の気持ちを持つことで、世の不正に憤り、嘆くこと」だと語っています。
それじゃあ、悲憤の意味は?という疑問が出てきますが、悲憤(ひふん)は文字通り、悲しみ憤ることです。
憤る(いきどおる)
・激しく腹を立てる。憤慨する。
・気持ちがすっきりしないで苦しむ。
憤る(いきどおる)の意味 – goo国語辞書
「慷慨」の中にはすでに「憤り、嘆く」と意味が含まれているにもかかわらず、「悲憤」という似ている言葉が強調の意味で重ねられています。
つまり「悲憤慷慨」とは、
正義の気持ちを持つことで、世の不正に(非常に)憤り、嘆くこと
と言っても良いかもしれません。
『青天を衝け』5話で尾高惇忠(あにぃ)が「悲憤慷慨」という言葉を使った理由
『青天を衝け』5話の劇中で、渋沢栄一は
「承服できねえだけじゃねえ。胸ん中がムベムベして、それが腹に下って、どうにも情けなくて治んねえ。俺は、いまちっとんとこであのお代官を殴りつけてくれるとこだった!」
と語っています。
さらに『青天を衝け』の小説版では、この時の栄一の心情として
「威張りくさるしか能のないぼんくら代官に、百姓というだけで唯々諾々と従わねばならぬとは。」
と書かれています。
お代官に腹を立てつつ、武士と百姓と言う身分差による理不尽そのものにも憤りを感じている。
そんな栄一を見たからこそ、惇忠(あにぃ)は悲憤慷慨という言葉を出したのでしょう。
悲憤慷慨の語源・由来
悲憤慷慨という四字熟語には、正確な語源・由来はないようです。
ただし、似た言葉として悲歌慷慨(ひかこうがい)があります。
こちらは2000年以上前から由来があります。
悲歌慷慨(ひかこうがい)
悲歌慷慨(ひかこうがい)の意味・使い方 – 四字熟語一覧 – goo辞書
悲しげに歌い、世を憤り嘆くこと。社会の乱れや自分の不運などを、憤り嘆くこと。壮烈な気概のたとえ。▽「悲歌」は悲しげに歌うこと。「慷慨」は憤り嘆くこと。「慷慨悲歌こうがいひか」ともいう。
語源・由来は、中国前漢の武帝の時代(紀元前141年〜)に司馬遷によって編纂された中国の歴史書『史記』の項羽紀(項羽本紀)から。
2000年以上前の書物ですから、長い歴史の中で日本でも読まれてきました。
- 奈良時代 710年〜
- 平安時代
- 鎌倉時代
- 室町時代
- 安土桃山時代
- 江戸時代 〜1868年
『青天を衝け』5話で尾高惇忠が渋沢栄一に向かって「そうか。お前もまさに悲憤慷慨だな」と言ったのは江戸時代末期のころ。
推測ですが、『史記』に記されていた悲歌慷慨(ひかこうがい)が、長く日本で読まれるうちに悲憤慷慨(ひふんこうがい)という言葉も生まれたのではないでしょうか。
以上、『青天を衝け』5話で尾高惇忠が渋沢栄一に語った【悲憤慷慨(ひふんこうがい)】の意味とは?でした。